Last Update:  March 24, 2003
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日々想った事徒然なるままに。想った事絵にしてみたり。Local Info





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戦争の必要性

いかなる戦争も正当化できるものはない。しかし、絶対的に否定できるものでもない。戦争というものは人類にとって、また地球にとって必然的な出来事であり、また必要不可欠なものである。文明の開化や政治の安定、国勢の是正の為などの名目において必要なのではない。信仰の自由を求めたり国の統治が戦争を正当化するものでもない。なんてことはない、戦争は自然の摂理に織り込まれた、地球の自己防衛手段の一つとも言える。そして、人類自ら作り出した食物連鎖の結果である。

食物連鎖というサイクルは非常に精巧に出来ており、地球に優しい。土から生まれたものは、一生を通して他の生物と共存し、互いに食い合い、栄養を吸い取り、そして土に還る。いうなれば、木々の一生の様なものである。種が水を吸い取り発芽する。さらに水と陽を浴びて、光合成により二酸化炭素を吸収し酸素を吐き出す。草食動物に食われもするが、ほとんどの植物は自然に老いが来て静かに一生を終え土に還る。枯葉は土にとって良い栄養になり、周りの木々や次世代の植物のための肥料となる。一生を通して、栄養を吸い取り、そして与え返す。「ギブアンドテイク」ーこのバランスが大切なのである。

そして、この食物連鎖のバランスをものの見事に崩壊させたのが人間である。口に出来るものは全て食糧とする生物最大の雑食動物としてこの世に君臨している。元来、生物は生存に必要な分だけの食料を取る。空腹を感じた時は体がエネルギーを本当に必要としている時であり、甘いものが食べたい、ちょっとスナックが欲しいな、などという事はないであろう。今日はフォアグラが食べたい、捕りたての新鮮な魚でなければ満足出来ない、などという贅沢は頭の片隅にもないだろうし、体も欲しないだろう。第一、そのような贅沢を言ったところで、今日の食糧を確保しないことには始まらないからだ。

手当り次第に狩り、伐採し食い尽くす。自然の食物が絶えてきたなら育てるまでである。言うなれば人間は地球を蝕む蔓延したウイルスのような存在である。手に触れる万物を破壊し、消費し、ゴミを撒き散らす、公害そのものである。一年を通して生殖を繰り返し、消費し、飽食し、また新たな「よりよい味」探求し、よりよい生活の為に放射能を撒き散らし、自然を穢し、地球を破壊している。人類は地球の天敵である。そして、地球は体内の「ウイルス」を排除する為にワクチンを送り込む。

地球が人類に送り込むワクチンの一つにはウイルスがある。コレラであり、エボラであり、エイズであり。いかに人間がこれらのウイルスに対抗するワクチンや治療法を開発しても、また新たなウイルスが発生したり、ワクチンを上回るべくウイルス自体が進化する。終わりの無いいたちごっこである。天災もワクチンの一つである。天災は自然現象だから「人為的」に起こるものではないし、人間がいなかったところで天災は起こっているだろうとも考える事もできるが、思ってみればこの世の全ての現象は自然のものである。宇宙の発現、太陽系、そして地球の誕生、水の発現、生物の誕生、進化や退化、知能の発達、文明の開化等、誰かが計画して進められた現象ではない(宗教の信念により意見も分かれるだろうが、ここでは自然の摂理の法則を前提とする)。地球を一つの生命体として考えると、血液が海の水やマグマであり、地殻は肉であり臓器である。我々が住んでいる地表は顔のようなものである。顔の表面が汚れれば洗うであろうし、臓器の調子がおかしくなれば地球でさえ下痢もするし胃潰瘍にもなる。地震、竜巻、津波、雷等、天災と呼ばれているものは地球という一つの体が健康に保たれるために起こる自然現象である。酒を飲むと毒素を分解するために肝臓の活動が活発になるように、地球の表面に不必要な数のビルが建っていたりするとムズムズするので、地震でも起こしてニキビを潰す様にビルも破壊するのである。

何も地球を汚すからという理由だけでこのような天災が起きたり致命的なウイルスが出現するわけではない。人間には天敵生物がいない。天敵生物以外の何か外部的な抹消力がないと人口は増え続ける一方である。今現在人間にとって不可避な「天敵」は致命的なウイルスや癌などの不治の病、寿命、予期できぬ天災、そして人為的な殺戮である。これらの天敵全てに対して人類は治療薬を施してきた。ウイルスに犯された体にはワクチンを投与し、癌は手術で取り除く。完治とまではいかなくても、早期発見の場合は命が救われる確立が年々増えている。寿命は今のところ確立された「治療」法は無いが、遺伝子操作によって寿命をも操作できる可能性が非常に高いということは知られて長くなる。倫理の問題は絶えないだろうが技術的には近い将来実現されることだろう。天災は今の技術では予測できるものが少ないので現在はどうしようもない。

人間は知識、技術、そして経験を駆使してあらゆる天敵に立ち向かいそれらを打破し、そして弱点を克服してきた。しかし、人類自ら作り出した天敵、すなわち人類そのものの克服にはまだ至っていない。理由は無数にあるが、争いの原因を自ら作り出していること、そして、最も致命的なのは、それを克服しようとしていない事にあるのではないだろうか。戦争を反対するというのは根本的な解決にはならない。そして、争いを無くす為の手段として話し合いの場を設けてある条件にそれぞれが合意するなり妥協するなりで結果が出てくる。話し合いを好まない場合や妥協策が見つからない場合には武力による「解決」が選択される。欲望、聞こえを良くすれば、向上心がある限り何かに対する要求はどこからか出てくるわけで、それがある限り摩擦は起き、その最悪の結果として戦争が起きる。向上心が無ければ人間の社会は成り立たないし、人類は早いうち滅びるだろう。ということは、戦争とは不可避であり、また人間が存在する上で必要不可欠なものではないだろうか。そして、戦争を無くすというのは事実不可能な事である。

さて話を戻すが、戦争が無かったら、人類の数を調節できる術が無い。前述した通り、人為的な殺戮以外の天敵はほとんど克服出来るからだ。戦争はいわば自然の摂理一つである。人類は自らの食物連鎖を作ったのである。もし人類に弱点が無くなったら必然的に人口は爆発的に増え、食糧は底をつき、十分な住居の空間を無くし、結果的に自らの首を絞める事になる。海中、地中、または空中に住宅地を開拓したとしても(空中は高層ビルという形ですでに開拓されているが)、地球の大きさなどたかが知れている。恐らく数百年の内にまた住居問題は出てくる事は目に見えている。地球外に出たとしても、またそこで同じことを繰り返し続けるのだろう。食物連鎖のピラミッドの頂点に立っている者の結末は老いて死ぬか、自らの命を絶つしかない。そして、寿命という弱点を克服しつつある人類に残された道というのは後者しか残されていない。皮肉にも、戦争というのは人間が自ら作り上げた食物連鎖の結末なのである。

「異種の共存」でも述べたが、この世のほとんどの種族には天敵というものが存在する。簡単に言えば草食動物には肉食動物、草木には害虫、等である。天敵は生物とは限らない。日照りや枯渇のような自然現象、有害化学物質や放射能のような物質も生物に致命的ダメージを与えるという意味では天敵である。人類の最大の天敵は人類そのものである。

戦争は必要か。決して戦争を支持するわけでもなく激励するわけでも無い。しかし、戦争は人類にとって、生物にとって、地球にとって必要であり不可欠な事である。

追記
問題を解決するために武力を行使するというのは、知能を持った者が出来る最も低知能で最低最悪な行動である。しかし、悲しくもそんな事を微塵にも思わず武力を行使する者はこの世に無数に存在し、また、そういう者に対して遺憾ながらも武力で対抗しなければならない状況が同じ数だけあるので、暴力というものはこの世から無くならない。知能を持っていても、やはり人間は動物に過ぎない。そして、生存・生命維持の為の場合だけでなく、利己的な欲を満たす為に暴力を使う人間は、時には動物以下の存在でもある。


:: ちょっと寄り道 ::

良い戦争、悪い戦争など
あったためしがない。
フランクリン(1706〜1790)

「嫌いなものは殺してしまう、それが人間のすることか?」
「憎けりゃ殺す、それが人間ってもんじゃないのかね?」
(シェイクスピア ヴェニスの商人より)


       
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