Last Update:  March 13, 2003
HomeThoughtsPoemsGalleryPhotosBBSLinks About Me
日々想った事徒然なるままに。想った事絵にしてみたり。Local Info





  Thoughts:

  ・異種との共存
  ・運命
  ・戦争の必要性
  ・想像の世界の住民
  ・法律
  ・y = ax
  ・セミリンガル
  ・クラブが好きな訳




運命

運命というものは存在するだろうか。答えはイエス、そしてノーである。

仏教の教えでは無いが、この世の森羅万象はどこかで繋がっている。因果律という言葉に表されているように、原因と結果との間には、一定の法則がある。「一定の法則」というのは、「一律な」、という意味ではなく、一つの原因で結果は様々であり、何かが起こり、結果として二次的な事が発生する。何もしないというのも原因の一つであり、何も起こらなかったというのも結果の一つである。原因には必ず結果がついて回り、また結果には必ず原因がある。

原因と結果は連鎖する場合もある。むしろこの世は原因と結果の連鎖によって成り立っていると言っても過言ではないだろう。例えば、朝寝坊をする。いつもはコーヒーを飲んでシャワーを浴び、朝のニュースをテレビで見てから一息ついて通勤するのだが、今朝は時間がない。コーヒーの飲まなかったので目がいまいち覚めず、しかも遅れているので気分がムシャクシャして運転が荒くなる。しかもその朝に限って渋滞は最悪である。

荒い運転の所為で、後ろを行く人も気分が悪くなる。この後ろの人は朝から大事な会議があるため気分が張り詰めているものだから、イライラがおさまらない。会社に着くなり部下が間違いだらけの企画書を果敢にも提出する。一ページ目を見ただけでウンザリするような内容である。その部下を呼びつけて「全部やり直せ」とだけ一言だけ言いつけて部屋から追い出す。いつもなら企画書に一通り目を通し、「ここはいいが、ここがこれでは通用しない。なぜなら・・・だからここの部分をもう少し練ったほうがいい」と、言っているかもしれないが、朝の渋滞と、運転の荒い奴の所為で今朝は気分に余裕が無い。

3日徹夜して作り上げた企画書を、「全部やり直せ」の一言で跳ね返された部下は憤慨する。彼の一日は朝のこの出来事で台無しになり、うっぷんを晴らすために、いつもは真っ直ぐ帰るのだがその夜は一杯ひっかけに店に寄る。12時過ぎた頃帰宅すると、留守電がいくつも入っている。今日は記念日で食事の約束をしていたのだ。企画書を必死で仕上げ、気張って出勤に向かってしまった為に携帯を家に忘れていたのを悔やんだが時すでに遅し、である。

これは災いが災いを呼んでしまうケースだが、最初の人が寝坊をしたというだけで他の2人の一日を台無しにしてしまう事もあるのである。極端な話、道に石ころが一つある、という「出来事」が始まりで、原因と結果の連鎖の繰り返しによって世界が大きく変わる可能性はおおいにある。

さて、この「原因があり結果につながり」、そしてそれが「連鎖」し、また「ある一定の結果へと辿り着く」という定義をもとに考えるならば、人は生まれた時から運命は決まっていると考える事もできる。誰にも運命は予測できないし、まだ起こっていない出来事が無数に存在するので本人は運命を知らないだけである。例えば、運命の出会いを唱える人もいるが、2人が出会うまでの出来事を細かく辿っていけばなんてことない、当然の結果なのである。それを運命と呼ぶか呼ばないかはそれぞれの勝手である。

前述したが、原因と結果の法則は一律ではない。自分で選べる「結果」がある。それは「選択肢」という形ででてくる。先程企画書をつき返された人だが、憤慨してうっぷん晴らしをする代わりに、「よし、次はもっと頑張って上司を見返してやるぞ」と、更にやる気を出し、その晩必死で勉強をして最高の企画書を作り上げる事も出来る。こうする事によって「結果」も大きく変わってくる。酒を浴びて悔しさを紛らわすか、見返してやろうと更なる努力をするか、どちらを選ぶかは彼次第である。そして、どういう選択を取るのかは彼の性格により、彼の生い立ち、すなわち、彼が今までどういった選択をしてきたか、どういう生き方をして来たかが今回の選択を決める。

この例を取ると、運命とはアミダのように網羅された選択肢の連続である。どの道を行くか、どの方向へ向かって行くかは一つ一つの選択にかかっており、結果はその選択一つ一つに左右される。同じ道に戻ってきたり、左右を行ったり来たりすることもあるだろう。「これが私の運命であり、もうどうする事も出来ない」と言いながら現状に甘んじる事も選択の一つである。選択肢の無い道は絶対にあり得ない。新しい道を発見したり切り開く努力をするかしないかというのも全て選択に懸かっている。すなわち、自分の運命をどう変えるかは自分に懸かっている。他人の「運命」が自分の「運命」に影響を及ぼす事ももちろん否めないが。

運命というものは存在するだろうか。定められた運命というのは存在しない。自分で変えられる運命というものは選択肢という形で存在する。運命とは過去の選択の結果であり、今日の自分の存在理由であり、未来の選択肢の可能性である。今息をしているこの一瞬一瞬が、「選択」の「結果」であり、運命そのものである。今日を精一杯生き、明日の選択肢を広げる事で運命は変える事が出来る。だから答えはイエス、そしてノーである。

さて、今日はどの運命を選ぼうか。


:: ちょっと寄り道 ::

運命は、志のあるものを導き、志のなきものを引きずっていく。

(セネカ)




       
Home |  Thoughts |  Poems |  Gallery |  Photos |  BBS |  Links |  About Me |  Site Map | 
  ::
 
  Copyright 2003 Dance or Die. All rights reserved.  






SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送