Last Update:  September 11, 2003
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y = ax

つい先日、養老孟司著作の「バカの壁」という本を頂きました(マーチさん、感謝!)。

出版社/著者からの内容紹介から
「いくら話してもわかってもらえない」「想いがどうしても伝わらない」
誰もが味わう苛立ち、不快感。それを解くキーワードは「バカの壁」だった!
「"話せばわかる"なんて大嘘だ」と思ったことは誰にでもあるはず。「バカの壁」こそが、コミュニケーションの断絶を解くキーワードだ。この壁についてわかると、身の回りの話が通じない人の思考がわかる。大人と子供、上司と部下、さらにアメリカとイラクとでなぜ話が通じないのかもわかってくる。誰もがぶつかる人生の問題について、「こんなふうに考えてみては」と様々な視点を提示したエッセイ。

まぁこんな感じの本です(すっごい手抜き ^^;)。ま、それはいいとして。まだ30ページ程しか読んでいないのですが、興味深い事が幾つか書いてあり、なかなか面白いです。その中で、今回は「脳の中の係数」という章の「脳内の一次方程式」とものについて触れてみたいと思います。(コホン・・・)

「・・・五感から入力して運動系から出力する間、脳は何をしているか。入力された情報を脳の中で回して動かしているわけです。この入力をx、出力をyとすると、y=axという一次方程式のモデルが考えられます。なんらかの入力情報xに、脳の中でaという係数をかけて出てきた結果、反応がyというモデルです。

このaという係数は何かというと、これはいわば「現実の重み」とでも呼べばいいのでしょうか。人によって、またその人の入力によって非常に違っている。」
 (「バカの壁」 養老孟司著 新潮新書 31-32ページより抜粋)

と養老氏は言っています。「現実の重み」という言葉が彼の定義通り正確に「a」に当てはまるかどうかは分かりませんが、やはり当人がどういった経過で人生を送ってきたか、という事が重要になってくると思います。物事を見る姿勢、生まれ持った感性、洞察力、その後の思考など、それらの積み重ねで得た経験で人それぞれ価値観や自分なりの哲学が出来上がってきます。そして、それが「性格」として現れます。例えば、同じ映画を見ても、悲しいエンディングに鼻水を垂らしながら号泣している人もいれば、「特殊効果がいまいちだったね」とストーリーに関係無いことを言う人もいるし、はたまた「映画館寒くなかった?」と映画自体に関係ない感想を述べる人もいます。さらには、映画には何も触れること無く「何食いに行く?」と既に次のことに頭が切り替わってる人もいるわけで、同じ現象に対する反応は様々です。映画及び映画を見るという行動=x、感想及びその後の言動=y、そして、その間にある係数「a」。それにはプラス・マイナスがあり、その性質も人によって全く異なり、また時として変化します。

係数「a」に多大な影響を与えるのは一部精神的な障害を除き、環境ではないかと思います。僕は苦しく辛い情況(x)にあっても前向き姿勢で笑い飛ばすという技術(a)のお陰で堕落する事なく今まで歩いてこれました(y)。 係数「a」の形成を助長・または後退させるのは親であり、友人であり、住んでいる環境であり、社会的や経済的な環境であり、そして今までの自分であり、一概に環境といっても要素は色々あるわけです。僕は常に良い友人に恵まれ、親にも色々お世話になり(いつも迷惑かけてます ^^;)、山あり谷ありですが楽しく生きてきました。この2−3年は色々あり、本当に大変でしたが、色々な人に精神的に支えてもらい、僕の係数「a」を常にプラスに保つ事ができました。そして、そのお陰で今の自分があるんだな、とつくづく思います。

これは他人に生かされていると言う意味ではありません。自分の人生なのですから、行動一つ一つに最終決定を下すのは勿論自分です。しかし「自分は今まで誰の力も借りずに自分の力だけで生きてきた」「自分が努力したから今の自分がいる」と自分を過大評価する人も多いことでしょう。それならまだましな方で、係数「a」を伸ばすために、またはそのベクトルを保ってくれているいわば「援助」を何とも思っていない人も多いのではないでしょうか。最近新しい街に引っ越して来てそれをよく思います。今住んでいる街の近辺には日本から来た学生が大勢います。仕事上、彼らと話す機会が多々あるのですが、「英語を勉強する」という目的の方が多いようです。それはそれで立派な一つの目的だと思いますが、その中には授業もロクに出ずに遊び呆けている学生も目に付きます。この近辺に長いこと住んでいる方々のお話や掲示板などの話を見ますと、この類の学生達はほぼ四六時中日本人同士でつるみ、英語を話す機会は殆ど無い為、結局英語を全く習得せずに学校が終わったりビザが切れたりして帰国していくそうです。自分を伸ばすという意欲が無いのでしょうか、もったいない話です。家賃や生活費、そして学費は親から出ていると思われます。ビザ上仕事ができない情況で、18−20そこらの学生が自分の貯金だけで全てを賄うのは不可能でしょう。その親の金で服を買い、酒を飲み、クラブで踊り、旅行をし・・・。 

実を言うと僕も学生の頃はそうでした。ワシントンDCにある、異様に授業料の高い某私立大学を卒業したのですが、奨学金を受けていたため授業料の75%は国から払われていました。しかし、生活費や交友費などは親持ちでした。無駄な買い物はなるべく控えていましたが、学生生活全体を通して酒を飲んだり踊りにクラブへ行くのにかなりお金を費やしたのを覚えています。仲の良かった友達の親が企業の社長や重役、はたまた政府の役人関係(某国の副総理の令嬢もいました)が多かったので、週末遊ぶだけでもかなりのお金が飛びました。しかし、先ほど述べた学生達と決定的に違うと思われるのは、僕を含め友達の殆どは頗る勉強熱心だったと言うことです。よく遊び、そしてよく勉強しました。1,2年生の頃は特に多く勉強に時間を費やし、週日は授業後ほぼ毎晩7−8時くらいから遅い時では深夜2時くらいまで図書館で勉強をし、さらに僕は自宅に帰ってから朝方4時くらいまで勉強をしていました。その成果があり、1年生が終わった時点で新しい奨学金が追加され、その額も毎年上げる事が出来ました。3,4年生になると少し勉強意欲は衰えましたが、成績は上の下あたりで卒業することができました。友達の中には、大学生になる時点で渡米した日本人で(英語が儘ならないでないというハンデを背負っていたにも関わらず)、特待生として卒業したというのも数人います。その彼らは今では意欲的にベンチャー企業に参加していたり、この不況下、新卒にも関わらずNYCの某大会社でなかなかのポジションで採用されて以来活躍を続けていたりしています。共に勉強していた友達の活躍を聞いたり見たりすると、やはり自分も頑張らねば、と意欲が沸いてきます。学生生活の様々な経験を通し、僕の係数「a」がプラス方向に大きく成長したのは間違いありません。

さて、先ほどの学生達の話に戻りますが、勿論意欲的に勉強し、英語を習得するためにできる限りの事をして頑張っている人も大勢いることでしょう。英語だけでなく、自分の夢を追いかけて日夜努力している人も少なくありません。そういう頑張っている人達、また毎日を浪費しているように見える人達、どちらの方が多いかは僕の知り得るところではありませんが、後者の方達は大変もったいない事をしていると感じてなりません。折角の機会を浪費しているのは、残念ながら親の援助や環境の恩恵に対する尊重の念が欠けているからではないでしょうか。もしかしたらその原因はそれまでの親の教育の所為かもしれません。しかし、それだけでは決してないでしょう。前述した通り、係数「a」を形成するには様々な要素が関わり、自分の今までの生き方がほぼ直接関係しているからです。1,2年居て英語が上達しなかった、と言いながら帰国する人は、その後も何事に対しても成長しないのではないでしょうか。もしくは上限が低いと思われます。何故なら、自分の係数「a」を上げるという根本的な努力の意欲が少ないからです。遊ぶことによって社会勉強をしている、と主張する人もいるでしょうが、取って付けた言い訳にしか聞こえません。勿論遊び方にもよりますし、物事の捕らえどころによってそれも肯定できる面もありますが。そしてまた、遊んでばかりいる、と見えてしまうのも、もしかしたら僕の視野や理解力の足りないところであって実情は違うかもしれません。それは一緒に生活しているわけではないので僕の知る由はありませんが。

「私はこういう類の人とはつるみたくない」という事をいう人がいます。一見傲慢な言い方で、「自分を何様のつもりだと思っているんだ」というマイナスの反応を見せる人もいることでしょう。しかし、これは正論だと思います。誰も好んで自分の係数「a」を負の方向に追いやる環境に置きたくは無いと思います。例えば、英語を学びに来たのだからアメリカ人としかつるまない、という人は英語を学ぶと言うことに関しての係数「a」のプラス絶対値を増やす事に徹底している方法を取っている、というだけの事でしょう。ただ、他との交流を断つ事によって視野が狭くなる危険性もありますが、それは本人の選択であり他人がとやかく言うことではありません。全ての方向に同時に満遍なく係数「a」を増やすのは至難の業です。勿論器用な人や、すでに各方面で経験豊富な方は満遍なく人付き合いをしながらも本来の目的を達成する事ができるでしょう。どちらにしろ、人を選んで交流をする、というのは賢明であり必然だと思います。

今までどれだけ広い分野でどれだけ係数「a」を成長させてきたか、それは経験・知識・教養等といった形で出てくる事が多いでしょう。それは学校の勉強だけでは得られず、もちろん自分だけでは得られません。係数「a」には人それぞれの経験が詰まっています。最初の映画鑑賞後の例でもわかる様に、あくまでも出力「y」は入力指数「x」と係数「a」による結果というだけなので良い悪いはありません。係数「a」のベクトルの方向や次元は様々で、プラスやマイナスがあり、絶対値が多い少ないで良し悪しが決まるものではありませんが、成長のチャンスは逃したくないものですね。なんて尻切れトンボ的な結論になってしまいましたが・・・。

(09.11.2003)

追記
これを書いた直後に、すでにこの本を読破したマーチさんから「本の言いたい事とちょっと違う」というご指摘がありました。まぁ・・・30ページちょいを読んだ時点での感想なので・・・その辺は勘弁してください・・・^^;


:: ちょっと寄り道 ::

人生は一冊の書物に似ている。

馬鹿者たちはそれをペラペラとめくっていくが、 賢い人間は念入りにそれを読む。

なぜなら、彼はただ一度しかそれを読むことが できないことを知っているから。

(ジャン・パウル)




       
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